エッセイ・NO.15  「平成30年 年賀状」 (2018.1.1)


    
    新緑に散った桜    ハスの実      稲穂・掛け干し    傷あるアカタテハ

  謹 賀 新 年   2018(平成30)年 元旦
 
 「秋蝶の 綻びたるも 美しき」 ラジオ深夜便でこの句を耳にしました。昆虫採集をしていた
若い頃、どんな珍しい蝶でも羽根に傷があると悔しがったものです。年を重ねた現在、ボロボロ
になってまで精いっぱい生き延びて来た蝶を見て、私もこの句の作者と同じ気持ちを持てるよ
うになりました。綻びた羽根そのものが、命の輝きを美しく放っているのです。
  
 昨年撮影した写真だけを見ても、散って新緑に引っかかった桜の花びら、花びらを落とした
ハスの実、刈り取られ干された稲穂、自然の命は最後まで美しく輝いていました。

 綻びても「美しく」生きるためにはどうすればいいのか…。私の仏教の師匠はアミダ仏を
「大いなるいのち」と表現しました。アミダ仏=大いなるいのち=大自然とすれば、仏が、
私以外の全ての現象を通して美しく輝く生き方を教えてくれているのではないか…。

 吉川英治氏の言葉に「我以外皆我師」とありますが、人間や自然を含めて「我以外
皆我仏」と、最近、綻びつつある私は思うようになりました。
      
 最後に少し抹香臭くなりましたが、私も一応僧侶なので…。

 
  皆さまにとりまして、幸多き年でありますように。             御堂順暁

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